落合博満氏は日本プロ野球の歴史に名を刻むスラッガーであり、その後監督としても成功を収めたことで有名ですよね!
今回の記事では、落合博満氏の現役時代の生涯年俸と中日監督・GM時代の年俸を徹底的に解説していきます。
そして、当時話題となった「165発言」の裏側まで迫ります。
- 落合氏の生涯年俸
- 当時ではタブーに触れた165発言の背景
- 中日監督時代の年俸推移
- 落合監督の魅力
私の年齢がバレますが、野球を見始めたときの中日の監督が落合氏でした。彼の冷静沈着の采配や先発を予想させない戦略など鮮明に覚えています。
選手時代の落合氏も凄すぎる成績を残しましたが、私の中では監督とGMのイメージが強いですね。
前置きが長くなってしまいましたが、落合氏の生涯年俸を紹介していきます。

落合博満氏の年俸推移について徹底解説
年俸 | 所属球団 | 年俸 | ホームラン | 打率 |
---|---|---|---|---|
26歳 | ロッテオリオンズ | 360万円 | 2本 | .234 |
27歳 | ロッテオリオンズ | 360万円 | 15本 | .283 |
28歳 | ロッテオリオンズ | 540万円 | 33本 | .326 |
29歳 | ロッテオリオンズ | 1600万円 | 32本 | .325 |
30歳 | ロッテオリオンズ | 5400万円 | 25本 | .332 |
31歳 | ロッテオリオンズ | 5940万円 | 33本 | .314 |
32歳 | ロッテオリオンズ | 5940万円 | 52本 | .367 |
33歳 | ロッテオリオンズ | 9700万円 | 50本 | .360 |
34歳 | 中日ドラゴンズ | 1憶3000万円 | 28本 | .331 |
35歳 | 中日ドラゴンズ | 1憶3000万円 | 32本 | .293 |
36歳 | 中日ドラゴンズ | 1憶3000万円 | 40本 | .321 |
37歳 | 中日ドラゴンズ | 1憶6500万円 | 34本 | .290 |
38歳 | 中日ドラゴンズ | 2憶2000万円 | 37本 | .340 |
39歳 | 中日ドラゴンズ | 3億円 | 22本 | .292 |
40歳 | 中日ドラゴンズ | 2億5000万円 | 17本 | .285 |
41歳 | 巨人 | 3億8,000万円 | 15本 | .280 |
42歳 | 巨人 | 3億8000万円 | 17本 | .311 |
43歳 | 巨人 | 3億8000万円 | 21本 | .301 |
44歳 | 日本ハム | 3億円 | 3本 | .262 |
45歳 | 日本ハム | 3億円 | 2本 | .235 |
落合氏の現役時代の生涯年俸は推定40億円以上だと言われおり、当時のプロ野球からすれば落合氏の年俸は最高クラスです。
落合氏の年俸を調査していくと改めて驚いたことが落合氏の晩年の打率の高さでしょう。
投高打低の2024年プロ野球では、3割バッターは4人しかいません。サンタナ(ヤ)、丸(巨)、近藤(ソ)、田宮(日)
単純に比較はできませんが、落合氏の凄さは数字からでも明らかです。
年俸の話に戻りましょう!
落合氏の年俸は、26歳の時に360万円からスタートし、45歳で引退するまでに3億円にまで上昇しています。
特に30歳以降は大幅に上昇しており、34歳には1億3,000万円、41歳には3億8,000万円に達しています。これは、彼が当時のプロ野球界においてトップクラスの選手であったことを示しています。
驚愕なのが40歳を過ぎても憶を超える年俸を維持し続けていることですね!
現在のプロ野球では二桁を超える契約も珍しくなくなってきていますが、落合氏の年俸は破格の金額であることがわかると思います。
千葉ロッテ
1979年にドラフト1位でロッテに入団した落合氏。当時の年俸は推定360万円でした。これは、当時の球界の平均年俸500万円と比べても低い金額です。
しかし、落合氏は持ち前の才能と努力で、すぐにレギュラーに定着。
1982年には初の三冠王を獲得し、年俸も5000万円を超えました。
彼は「プロ野球選手として成功するためには、結果を出すしかない」と常に向上心を持って練習に取り組み、見事に結果を残しました。
タイトル
打撃力には新人のころから定評があったことがわかります。これだけの活躍をしていたら、年俸がドンドンあがっていくのも頷けます。
現在のプロ野球だったら、どれくらいの年俸になっているか計算してみたいですね!
- 1981年、打率.326で首位打者を獲得
- 1982年に史上最年少の28歳で初の三冠王(打率.325、本塁打32本、打点129)を達成
- 1985年には打率.367、52本塁打、146打点で2度目の三冠王
- 1986年、三度目の三冠王となり、史上初となる3度の三冠王を達成
落合博満選手はロッテ時代に優れた成績を残し、日本プロ野球史上最高の右打者の一人とされています。
私はロッテ時代の落合氏の凄さを実際に目撃したわけではありませんが、当時の落合氏のバッティングをみると胸が熱くなります!
- 打率: .311
- 出場試合数: 1292試合
- 打数: 4206打数
- 安打: 1301安打
- 本塁打: 286本塁打
- 打点: 889打点
中日ドラゴンズ
1987年にFA宣言で中日へ移籍。年俸1億5000万円という破格の条件で入団しました。これは当時の球界最高年俸であり、落合氏の高い評価を証明するものでした。
中日では、3度のリーグ優勝、2度の日本一に貢献。1994年には史上初の40歳打者による三冠王の称号を獲得しました。
近年のプロ野球の三冠王と言えば、ヤクルトスワローズの村上選手ですが、落合氏は生涯で3度の三冠王に輝いています。
1シーズンにおいて、首位打者、本塁打王、打点王の3つのタイトルを取得した優れた選手のこと
近年は、若い年齢のときにMLBに挑戦する選手が増えてきました。プロ野球において一人の選手が三冠王を複数獲得する未来はやってこないのかもしれませんね…
タイトル
- 打点王2回、本塁打王2回を獲得
特に1988年と1989年には、打点王としてチームの勝利に大きく貢献しました。
その間、彼の打撃力は安定しており、高い打率と本塁打数を誇りました。また、守備でも一塁手としてチームを支え、チームの勝利に欠かせない存在ですね。
- 打率: .331
- 出場試合数: 908試合
- 打数: 3530打数
- 安打: 1164安打
- 本塁打: 281本塁打
- 打点: 851打点
実は落合氏は中日ドラゴンズ時代の打撃が一番安定しています。
巨人
落合博満氏のキャリアにおける新たな挑戦が、読売ジャイアンツ(巨人)への移籍でした。この移籍は、日本の野球界全体に大きな影響を与えると同時に、落合氏の年俸も3億8000万円と爆発的に増えています。
私の中での衝撃が巨人に移籍した当時の落合氏の年齢です。自分のキャリアのために40歳を超えてからの移籍は凄すぎます。
現役のプロ野球選手では、40歳超えで3割の成績を残す打者は存在しません。落合氏が異次元なレベルであったことがわかります。
当時は巨人と中日は今よりもバチバチの関係だったので、落合氏の移籍が中日ファンにとって、どれだけ衝撃的だったか計り知れません。
個人的には、メジャーに挑戦するよりも同一リーグに移籍される方が精神的なダメージが大きいと思います。
タイトル
- 1994年に本塁打王と打点王のタイトルを獲得
- 打率: .296
- 出場試合数: 385試合
- 打数: 1404打数
- 安打: 415安打
- 本塁打: 80本塁打
- 打点: 247打点
通算3割近い打率を残した落合氏は天才打者としか言いようがありません。
怪我がなければ巨人でも、もっと活躍したこと間違いないでしょう。
日本ハム
選手キャリア晩年に日本ハムファイターズに所属した落合博満氏ですが、この時期も彼の価値は変わらず高かったことが年俸から伺えます。年俸は8000万円ダウンの3億円でした。
40歳を超えても高額の年俸で契約できるのは、近年のプロ野球界では存在しません。
日本ハムでは、経験豊富なベテラン選手として若手の指導にも力を入れつつ、自身の成績もしっかりと残したことが凄すぎますね!
- 打率: .249
- 出場試合数: 172試合
- 打数: 590打数
- 安打: 147安打
- 本塁打: 36本塁打
- 打点: 85打点
中日監督時代の年俸
年度 | 年俸 |
---|---|
2004 | 1億円 |
2005 | 1億円 |
2006 | 1億円 |
2007 | 1億円 |
2008 | 1億円 |
2009 | 1億円 |
2010 | 1億円 |
2011 | 1億円 |
気になるインセンティブについては、過去のインタビューで想像にお任せしますと発言されています。中日の年俸は決まっているそうで、1億円だそうです。
ただ、公式発表ではないので、真実は落合氏と中日ドラゴンズにしかわかりません。
2004年から2011年まで中日ドラゴンズの監督を務め、以下のような功績を残しました。
- 4度のリーグ優勝(2004年、2006年、2007年、2010年)
- 1度の日本一(2007年)
- 2004年には就任1年目でチームをリーグ優勝に導き、最優秀監督賞を受賞
- 選手の徹底した管理とデータ分析に基づいた采配で、チームを常勝軍団に育て上げた
落合監督は歴代中日ドラゴンズの中で一番の成績を残しました。私のような20~30歳前半の世代は、強い落合氏のドラゴンズを知っています。
2024年の立浪ドラゴンズ3年目にも期待をしています。
落合博満氏の165(いち、ろく、ご)発言とは?
1990年オフの契約更改で、落合氏は自身の年俸を「1億6500万円」と公表しました。これは当時としては破格の金額であり、大きな話題となりました。
当時の球界の最高年俸は1億円であり、落合氏の要求は常識を覆すもの。しかし、落合氏は自身の価値を冷静に分析し、自信を持ってこの数字を提示しました。
落合氏はネットで「銭闘」と揶揄されることもありますが、落合氏が強気の年俸で球団交渉したおかげで他の選手も随分と年俸交渉がやりやすくなったのではないかと思います。
また、MLBとの年俸格差も埋めたかったのかもしれませんね。
現在のMLBとNPBとの年俸格差はTOP選手であれば、日米の差は相当開いているのが現状です。
私は日本人選手にも、自分の年俸が納得いかなければ、ドンドン球団と交渉をしていくべきだと考えています。
交渉をしていかないと日米の年俸格差は広がるばかりです。
落合博満氏の生涯年俸は?
落合博満氏の生涯年俸は、推定40億円以上とされています。
現在の落合氏の年収はテレビ出演や自身のYoutube運営(俺流チャンネル)、書籍、不動産など多岐にわたります。
具体的な金額を算出することは不可能ですが、現在も一般のサラリーマンの10倍以上は稼いでいるでしょう。
→個人的には現在も落合氏の年収は1億円以上あると考えています。
落合氏は中日ファン以外でも落合氏のファンがたくさんいます。
その証拠に今でも落合氏の公式YouTubeは今でも数万再生を記録しており、多くの視聴者を釘付けになっています。
YouTube以外でも落合氏は多数の書籍を出版されており、印税も莫大な報酬でしょう。
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